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ゴマメの歯ぎしり その8 (平成28年6月6日 記)

 今回は連隊長についての思い出など書いてみます。

「連隊長 その1」

 陸士・陸曹の頃、連隊長は雲の上の人で、実はほとんどお名前を記憶していない。「連隊長」と肩書でお呼びしていたので、名前を記憶する必要もなかった。しかし時に連隊長の名前を問われることがあり、慌てたことがある。昭和53年秋、普通科教導連隊から第3陸曹教育隊(板妻駐屯地)に入校していた時のこと。教育隊長から突然「教導連隊長の名前はなんとおっしゃったかな?」と問われ、さあ大変!うろ覚えで昔見たことのあるTV時代劇の名前を思わず口走ってしまった。「は、花山大吉1等陸佐であります。」もちろん花山勝音1等陸佐と言うべきであったが、下の名前をどうしても思い出せなかったのである。教育隊長は苦笑され、私は大恥をかいてしまった。

 空挺出身の花山連隊長は晴れた日の登庁は車を使われず、官舎から駆け足で出勤された。警衛隊に上番し正門歩哨(正門出入口の間に小さな哨所があり皆「島」と呼んでいた。)に勤務するとき、連隊長の登庁を報告するのも役目の一つであった。滝ヶ原のバス停付近に大きな連隊長の姿を認めると、「警衛司令、連隊長来られました!」と報告する。当時の警衛所は木造で正門に向かって右にあった。警衛司令以下整列し「頭左、服務中異状なし。」と報告する前をジャージ姿の連隊長が大きな声で「ご苦労さ―ん」と通過される。連隊本部への道すがら、連隊長の姿を認めた隊員が次々に敬礼をする。走りながら一人一人に「ご苦労さん」と声かけをされる連隊長の後姿。懐かしい光景である。

  幹部になると連隊長から指導を受ける機会が増え、お話を直接聞くことができるようになった。昭和の終わりごろ、新米小隊長の時代に米子第8連隊で勤務させていただいた。当時のK連隊長から、「自衛隊は今後、大きな改編がある予定だ。第8連隊もいずれ第8大隊になるかもしれんぞ。」とお話があり、自衛隊縮小に向かう時代の流れを身にしみて感じたものだ。K連隊長は記念式典等にはよく礼服を着用して臨まれた。私も幹部になったからには一度は着てみたいものだと思っていたが、残念なことに定年まで一度もその機会がなかった。
 米子駐屯地で定期異動の時期、たまたま営庭で会ったK連隊長に「岡本、3月に第4陸曹教育隊に転属だ。」と突然の異動内示を受け驚いた。あまり、形式にこだわらない連隊長であった。

 結局、大隊への改編はなくなり旅団内の小さな連隊に落ち着いた。しかし、新編連隊の勢力は4個中隊基幹の600名程度で旧軍の大隊規模でしかない。旅団内の戦車・特科等も縮小され昔のようにコンバットを組むこともなくなった。改編された旅団も旧軍の聯隊(2000人規模)より少し大きい程度になってしまった。小さくなった連隊の連隊長は雲の上から少し下に降りてきたようだが、名は体を表すというように、連隊という本来の組織に戻って欲しいと思うこの頃である。

(文責 岡本)