海外引き上げ上陸跡地(長門市仙崎港)  前のページへ戻る


敗戦直後の混乱期、多くの在外日本人の引き上げ事業が実施された。山口県長門市仙崎港もそのための引き上げ港であった。今は、当時の面影もないが港には記念の碑が建てられている。

 


(日本三大引き揚げ港:仙崎)
昭和20年8月15日、太平洋戦争は日本の降伏で終わった。当時、外地にいた日本人は六百数十万人といわれている。これらの人々を帰国させるため、国では、博多、下関、舞鶴など数カ所の引揚港を決めた。ところが下関港の場合、関門海峡に沈没船や米軍が投下した機雷が残っていて危険なため、これに代わる仙崎港が選ばれた。引揚船には最初、もと関釜連絡船の興安丸(7079トン)が当てられた。敗戦の翌月の9月2日、第一次の引揚者七千人が仙崎港に上陸した。外地で悲惨な終戦をむかえた復員の軍人や一般の人々である。仙崎では、寺や学校が、引揚援護の事務所や救護所、宿泊所に当てられた。応急のバラック住宅も建てられたが対応しきれなかった。仙崎や正明市駅(現長門市駅)付近の民家にも多くの引揚者を泊めた。一方、仙崎港には、ここから故国朝鮮に帰る人々もあふれた。昭和21年末、仙崎が引揚港の役割を終えるまで、この港に上陸した人々は約41万人、ここから朝鮮に帰った人々が約34万人。大混乱の1年あまりであった。敗戦の混乱の中で、故国日本の土を踏んだ喜び、温かくむかえてくれたこの地の人々。その後、当時を懐かしんで、再び仙崎を訪れた人々も多い。
(長門市資料より)

以下は当時の写真である。(長門市資料より)